海殺しX/パチンコ事始

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    2008年4月8日、別のブログで産声を上げた、佐々木智親によるパチンコ・コラムのデビュー作。一人の少年が幾多の体験を経てパチンコ攻略のプロに育ってゆく過程を綴った半生記は「パチンコ史」の縮図でもある。最強攻略法・海殺しXが誕生するまでには、これだけの熟成期間があった。

     

    ★攻略の福音

    パチンコに勝つ方法は単純明快!(攻略の極北)

     

    元日からパチンコ


     昨年の11月頃から本業が急に忙しくなってしまった。度重なる海外出張に悲鳴を上げ、猫の手も借りたくなるほど身動きが取れなくなってしまった。

     

      ようやく訪れた日本での休日、元日からハイパー海物語INカリブを打ってみようと思った。

     ところが、行きつけのホールは超満員。パチプロといえども、この状況では負けることもある。「すぐに当たる台」、「爆発する台」は見抜けても、すでにそこには人が座っている。

     

     やめるのを待っても、やめればもう座席が取れないとでも思うのか誰もやめてくれない。ホールにとっては最高の状況が訪れた。一人ひとりが休むことなく打ち続けるので、お金が落ちる、落ちる。

     

     その結果、一部の台が爆発し、爆発しなくても時間をかけて好調にドル箱を増やす台もあり、全体的には出しまくっているように見えるが、ハマリ台からの回収で十分な利益になっている。

     こんな時、妥協してあまり気の進まない台を打つとプロでも簡単に負けてしまう。私はじっと忍耐して3時間ほど打たなかった。3時間も打たずにブラブラしているのは苦痛以外のなにものでもない。

     

     私の行きつけのホールにはソファがなく、ずっと立ちっぱなしを余儀なくされた。このような状況に備えて日頃からジムで体を鍛えているが、それでも精神的な疲労は防ぎようもない。

     やっとお目当ての台が空いた。その台を打っていたおじさんは800回転を超えるハマリにうんざりしたのか如何にも不機嫌そうな表情で帰っていった。その台がひとたび当たればとてつもない爆発をする可能性を秘めているとは知らずに・・・。


     私はその席をキープした後、しばらく打たずに台を寝かせた。そして、リヴィエラ倶楽部の秘伝「ウルトラ速攻法」が使用できるチャンスが到来したのを確認して、間髪入れずに打った。

     

     わずか500円で単発当たりが来て、それが時短で確変を引き、最高9連荘を含む計18箱まで伸びた。わずか2時間の出来事であった。
     

    私のパチンコデビュー


     その晩、私は元日から営業しているワンショットバーでひとり酒を飲みながら、パチンコとの出会いと今日までの歩みを思い出していた。店のシャンデリアから放たれた光がグラスのカクテルに反射して不思議な残影を浮かべていた。

     はじめてパチンコを打ったのは14歳の時であった。年齢の割には長身で少し老けて見えた私は18歳以上と思われたのであろう。店員からお咎めを受けることは一度もなかった。


     当時のパチンコはチューリップ台が主役であった。CR機が世に出る遥か前の話である。チューリップ台はクギ読みで全てが決まる。当時は釘師が、毎日、各台のクギをいじり、良い台、悪い台、普通の台を作っていた。

     

     今でこそクギなど見ずに打っているが、当時はクギ読みに全力を注いだ。クギさえ良ければ必ず勝てる時代でもあった。逆にクギの悪い台に座れば、中学生のポケットマネーなどたった一回のパチンコで消えてしまう。

     はじめて勝った時の興奮は今でも忘れられない。300円の投資が1200円になった。わずか900円の利益にすぎないが、中学生の私には自分の力で稼ぎ出した、たった900円の利益が嬉しくてならなかった。

     

    不気味な換金所


     当時の換金所は今とは違い、摩訶不思議な場所にあり、一種独特の怪しげな雰囲気を漂わせていた。たとえば、ラーメン屋の脇に10センチ四方の小さな窓があり、ブザーを押すと窓が開く。

     

     窓には片手しか入らない。換金用の景品を窓越しに渡すと、お金を握ったおばあさんの手がにょろりと出てきたりする。

     あるホールの換金所はさらに不気味であった。昭和初期か大正末期に建てられたと思われる廃屋があり、窓ガラスの一部は割れ、お化け屋敷のようなその家は蔦(つた)の葉で覆われている。

     

     その家の脇に幅1メートルの狭い通路があり、陽は当たらず、塀にはコケが生い茂っている。人がすれ違う時、一人は廃屋に、もう一人は汚い塀に背をもたれ、視線がぶつかり合う気まずいムードの中、しばらくカニ歩きをしなければならない。

     女性ならばとても行く気にはなれない場所であった。

     

     通路を10メートルほど進み右に回ると、何故か上にはヘチマがぶら下がっている。ヘチマの下をうつむきながら歩いていくと、足元にはガラスの破片、錆だらけのブリキ板、誰かの小便の痕跡などが嫌でも視界に入ってくる。

     

     薄汚いことこのうえなく、息を止めながら、そして、ヤクザ風の人とすれ違いながら、ようやく換金所にたどりつく。そこにはプレハブ作りの小屋があり、やはり小さな窓があった。

     

     もちろん、こんな場所は好きではなかったが、一人の少年にとって、形容し難いスリルとちょっとした背徳の匂いがそこにはあった。それがかえって勝利の興奮を増幅させたのかもしれない。
     

    チューリップからハネモノへ


     たまには負ける時もあったが、チューリップ台で負けてもたかが知れていた。勝つ時もたいしたことないが、負ける時もかわいいものであった。

     

     毎回のように千円、2千円と稼いでは、それをコツコツと貯金して、一年で20万円ほどの貯蓄ができた。中学生にとっては大金である。私は不覚にも震えた。

     一年が経ち、高校受験の準備で忙しい時期にハネモノ台が登場した。はじめは怖くて手が出せなかった。ハネモノはチューリップ台と違って、千円、2千円がまたたくまに消える。

     

     今のCR機は1万円、2万円を簡単にすってしまう危険があるが、当時はハネモノすら怖かった。私はチューリップ台にこだわり続けたが、ハネモノは玉がVゾーンに入賞すると、一気に出玉が増える上、チューリップ台にはない爽快感があった。

     ハネモノは人々の射幸心を煽ると同時にゲーム好きな人を熱狂させた。ストローク調節のテクニックを駆使すれば、羽の開閉時間を長引かせることもできた。

     

     私はやらなかったが、機種によっては、予め玉にハンドクリームを塗っておくとV入賞率が高まると言われたものもあり、ゴトまがいのことを普通の人がやっていた。

     

     効果のほどはわからぬが、羽が開いた瞬間にハンドルを少し動かし、羽の先端に玉を拾わせるとVに入りやすいと信じて、そればかりを狙っている人もいた。

     

     これも実際に効果があったかどうかは疑わしいが、羽が開いた瞬間に、ある方向から台を叩き、圧力をかけることによってV入賞が容易になると信じ込んでいる人もいた。

     ともあれ、勝った時の金額が倍増したことと様々なテクニック(効果のないものも含め)が実践できるということが人々を魅了し、ハネモノはホールの新しい主役になった。その結果、チューリップ台はどのホールからも次第に姿を消していった。 

     やむを得ず、ハネモノに転向した私であったが、当時、人気のあったゼロタイガーやビッグシューターをとことん研究し、気がつけば、ハネモノでも勝てるようになっていた。

     

     20万円の貯蓄は軍資金としては十分すぎた。ハネモノで勝つ時は5千円、6千円と勝てる。

     

     受験勉強そっちのけで私はハネモノにはまっていた。今のCR機は素人でも爆発さえすれば、ただ座っているだけで5万円、6万円と簡単に勝てるが、当時は数千円勝っただけで大人が小躍りする時代であった。中学生の少年にとって、数千円規模の勝利が言い知れぬ興奮をもたらしたことは言うまでもない。
     

    ついにデジパチの時代へ


     さらに一年が過ぎた。ハネモノの次に出たのはデジパチであった。今のような確変はなかったが、オールセブンが揃うと大きな箱がいっぱいになる


     今思えば、この頃からパチンコのファン層が変わってきたように感じる。

     チューリップ台の頃、パチンコは頻度の差こそあれ、誰もが時折楽しむ庶民の娯楽であった。

     

     それがハネモノの出現によってゲーム性が格段に上がり、一時的にはファンを増やしたように見えたが、数千円単位で勝ったり負けたりするため、堅実な人はパチンコを打たなくなっていった。

     

     とはいえ、堅実な人ではあっても、たまにはパチンコを打ってみようという遊び心が十分に持てた時代であった。負けてもせいぜい数千円にすぎない。

     

     しかし、デジパチの出現はギャンブル好きを熱狂させた一方で多くの人々をパチンコから遠ざけてしまった事実は否めない。

     今のデジパチほどの博打性はないが、デジパチの出現はパチンコを万単位の勝ち負けのゲームに変えてしまった。

     

     当時のデジパチは確変こそなかったが、一度オールセブンが出ると、2円50銭の換金率(当時の平均相場)でも、ひと箱8千円弱にはなった。

     

     オールセブンが揃うたびに出玉を交換しなければならないホールが大半であったが、大当たり確率も甘く、何度も挑戦して当たり続ければ、結構な収入になったものである。

     高校に進学したばかりの頃の私はデジパチが怖くて打てなかった。ハネモノ以上のスピードでお金がなくなり、ハネモノと違って、いくら回ってもオールセブンが揃わなければなんの意味もない。

     

     せっかく習得したクギ読み能力もあまり役に立たなくなってしまった。よく回る台が勝てる台でもない。そのくらいのことは本能的に察知した。

     

     そして何か裏があるに違いないとも思った。「遠隔操作」、「コンピュータ制御」といった話題が噂にのぼり始めたのもこの頃からである。


    人生を変えた週刊誌記事
     

     そんな折、私の人生に決定的な影響を与える記事が『週刊宝石』誌に出た。私の行きつけのホールでは、ルーキーZという名のデジパチがあった。

     

     その攻略法が全国に流通する誰もが目にする一般誌に、なんとリークされてしまったのである。

     

     ルーキーZは上に一つのデジタル、下に三つのデジタルを持ち、その全てに7が揃った場合のみ当たりが発生する。『週刊宝石』には、そのリーチ目が公表されていて、7−553、7−331、7−035、5−035がそれであった。

     

     「この目が出れば、約50パーセントの確率で30回転以内に当たります」と某パチプロのコメントが紹介されていた。

     今でこそリーチ目はそれほどあてにならないが、この情報は恐ろしいほど事実であった。はじめは私も半信半疑であったが、ものは試しとばかりに最初からその出目で放置されている台を探して何度か打ってみた。

     

     そして、本当に約50パーセントの確率で30回転以内に当たった。 

     当時を知らない若い世代の方は「そんなに都合よくリーチ目で捨てられている台があちこちに落ちているものか」と疑問に思われるかもしれない。

     

     しかし、ルーキーZは0から9の全ての数字が使われているわけではなかった。0、3、5、7しか使われていなかったため、数字の組み合わせも限定されていた。

     

     しかも、そのホールでは、全体の70パーセントの台がルーキーZという偏った機種の配置をしていたため、空席の台はいくらでもあった。

     

     30分も巡回を続ければ、一つくらいはリーチ目状態で放置されている台が見つかったし、2台並んでリーチ目状態で放置されていることも珍しくはなかった。(ホルコンに詳しい方は「おっ、並びだな」と独り言をつぶやいていませんか?) 

     

     そんな時は一台の上皿にタバコ(「えっ、高校生が?」とは言わないでね)かハンカチでも置いておき、残りの台を攻めた。そして、うまくいかない時はスペアとして押さえておいた隣の台に移り、簡単に当てることができた。 

     まだ高校生の身分にすぎなかった私はますます震えた。ルーキーZで30回転といえば千五百円か2千円の投資である。時には10回転以内で当たることもある。そして、当たれば約8千円がポケットに転がり込む! 


     連日、私はリーチ目が出た状態で放置されている台を拾っては勝ちまくった。見つからない場合は打っている人を背後から観察し、リーチ目が出てすぐにやめた人の台を拾って勝った。

     

     30回転で当たらなければ別の台を攻める。時には4台連続で攻略に失敗することもあったが、次に2回連続で攻略に成功すれば、十分に挽回できた。

     

     又、自分の経験から上記のリーチ目の上段の数字が3に入れ替わった場合、それがハマリ目であることも看破した。時には、リーチ目が出た台を打つとすぐにハマリ目が出ることもあった。そんな台はすぐに捨てたため、無駄な投資を省くことができた。


    栄光の時代の終焉


     しかし、こんな単純で面白い話はそう長くは続かない。

     

     雑誌で攻略法が暴かれたことと関係があるのかもしれないが、ルーキーZはどのホールからもすぐに撤去され、攻略法のわからないデジパチとハネモノだけが残った。

     

     しばらくは、ハネモノに戻って、小銭を稼いでいた私であるが、ルーキーZでぼろ儲けした栄光の時代が忘れられず、次第にハネモノでは満足できなくなった。
     

    生活水準のダウンには耐えられない


     人は一度手にしたリビングスタンダード(生活水準)を落とすことができない。

     

     一度でも洒落たマンションに住んだことのある人は、どんなに生活が苦しくても、二度と安アパートには住めなくなる。長年、車を持っていた人は、たとえ乗る機会が減っても、あらゆる犠牲を払って車を維持することに執念を燃やす。

     

     実際は収入が激減すれば、贅沢も言っていられなくなるが、ひとたびリビングスタンダードをダウンさせると、人は大変な失望感と向き合って生きなければならない。

     私は仕事柄、芸能人、スポーツ選手との交流があったが、最盛期を過ぎ、あるいは引退して、今はかつてほどリッチでなくても、彼らの金銭感覚は少し普通の人とは違っていた

     

     たいした距離でなくても決して歩こうとはせず、手を上げてすぐにタクシーを呼ぶ。外で食事を共にすると、食後は高級な喫茶店に場所を移し、お茶やケーキの飲食だけで通常レストランの夕食以上の勘定を支払う。 

     芸能界には「アゴアシ付き」という業界用語がある。イベントなどで芸能人を招聘する時、「アゴアシ付きでお願いします」と言われれば主催者は食事代(アゴ)と交通費(アシ)を高額なギャラに上乗せしなければならない。

     

     又、芸能界には「並び」という業界用語もある。(ホルコンの並びではありません!)

     たとえば、ある人のギャラが70万円とすれば、実際には源泉徴収税(10パーセント)を差し引いた63万円がその人の銀行口座に振り込まれる。

     

     ところが、「七並びでお願いします」と言われれば、777,777円という半端な金額がギャラになる。そこから源泉徴収税を引くと、ジャスト70万円になる計算である。

     

     たった一言で7万円も稼いでしまうのは解せない話であるが、すでに慣例化していることなので誰も文句が言えない。 

     そのような厚遇に慣れた人々はそれが普通であると思い込んでいる。そのため、性格の良い人であってもつまらぬことで怒り出すこともある。

     

    ある女優の話


     かつて、まだ少しは人々の記憶に名前が残っている引退女優にある仕事をお願いした時、予算の都合上、交通費は支払えたが、食事代が出せなかったことがある。

     

     ギャラは現役時代の5分の1で快諾してもらえたが、食事代(5千円払えば十分)を出す余裕がなかった。

     

     後でその人から「私は本当に惨めな思いをしました。こんな会社であれば、もう二度と仕事はしません」と三行半をつきつけられ、私は謝罪のためお土産持参で彼女が指定した高級ホテルのレストランまで足を運んだ。

     

     また怒られてはたまらないので、当然、食事代は会社の負担にするつもりでいたが、彼女は私が多忙であるにもかかわらずわざわざ指定の場所まで出向いたことに満足し、高い食事代を平然と支払った。

     

     私は「これでは、なんのためのお詫びかわかりません」と彼女の奢りを固辞したが、「いいんですよ。私はお金が欲しくて怒ったわけではありませんから」とかわされてしまった。

     

     つまり、自分が大事にされなかった(実際はそういうわけではないのだが)との思いが彼女に深い悲嘆をもたらしたのであった。


    心の中の昇進


     随分と話が横道にそれたが、人は誰でも段階的なレベルアップを楽しむ習性がある。


     サラリーマンであれば、主任、係長、課長、次長、部長、取締役と徐々に昇進してゆくところに醍醐味がある。転職でたとえ給料が上がっても、肩書きが下がったり、権限が弱まったりするだけで不愉快に思うものである。
     

     パチンコも同じである。一度、デジパチで稼ぎまくった栄光の時代が忘れられず、私はハネモノなんてものは三流プロが攻略する機種であると勝手に決めつけ、デジパチ以外は打たなくなってしまった。

     

     チューリップ台のプロ→ハネモノのプロ→デジパチのプロと、心の中で昇進を楽しんでいたともいえる。


    爆発機種の誕生と社会問題


     その後、CR花満開という確変機能が付いたパチンコが登場したのを機に、大工の源さん、モンスターハウスといった爆発機種が次々と誕生した。

     

     この頃から「パチンコ依存症」という言葉が生まれ、パチンコに負けてサラ金地獄に落ちる人、配偶者に愛想をつかされ離婚の憂き目に遭う人、そこまでひどくはなくても、給料の大半を連日のパチンコですり減らし、なんのために働いているのかわからない人などが珍しくなくなった。

     

     それが大きな社会問題となり、かつての庶民の娯楽が悪いものの代名詞のようになってしまったのは残念でならない。

     一時期は人々の射幸心を煽らないためという理由から連荘の上限は5連荘までという理不尽な規制もあった。

     

     しかし、こんな規制を始めたところで、世の中の流れは変えることができない。5連荘制限もやがて撤廃され、どのホールも次第にアツイ鉄板と化し、人々の悲喜こもごもの舞台と変容していった。


    攻略研究の開始


     もうハネモノに戻る気力は完全に失せていた。いつしかハネモノも時代遅れの斜陽機種に成り下がっていた。メーカー各社がどんなに工夫を凝らしても、運さえ良ければ、500円が1時間で5万円に化けるCR機の魅力を超えるハネモノ機など開発できるわけがない。 

     海物語シリーズの元祖、CR海物語が出た頃から私は「海」しか打たなくなった。(※その後、紆余曲折を経て、現在は何でも打つようになった)「海」に勝つためにホルコンの研究もした。

     

     しかし、ホルコンの知識だけでは収支は格段に上がっても爆発しなければ、たいした儲けにならないばかりか深追いすれば負けてしまう。

     私は次第に爆発狙いの研究に全てのエネルギーを傾注するようになった。そして、最終的にはホルコン攻略と爆発狙いの攻略を併用するしか勝ち目がないという結論に達した。

     

     そして、連日のように勝ちまくり、パチンコ収入が本業収入を超えるまでになった。当初は筆舌に尽くし難い苦労があったが、何事も精進を続ければいつかは花開くことを信念に前進を続けた自分がいた。 

     私の所属するパチプロ集団、リヴィエラ倶楽部の切り札、
    最強攻略法・海殺しXはたゆまぬ努力と反省の繰り返しから生まれた、血と汗と涙の結晶であり、またの名を「夢の翼」という。


    幸せの第一歩
     

     富だけで人は絶対に幸せにはなれない。築いた富を自分の夢の実現のために用いてはじめて幸せになれる。厳密に言えば、それでも完全な幸福にはほど遠い。

     

     これが富の限界なのである。人を幸せに導く友情、恋愛、家族愛などは富とは無縁のものである。富こそが人に幸福をもたらすものと考えるのは拝金主義者の妄想にすぎない。

     

     だが、 お金に全く興味を持たないロマンチストにも大きな見落としがある。夢の実現は幸福の一翼を担うものと知りながら、夢の実現と富との間に存在する、切っても切れない関係を彼らは直視しようとしない。 

     薄暗いカフェバーの片隅で、ただひとり酒を飲んでいた私は900円を儲けて得意がっていた生意気な少年時代の日々を追懐していた。もしあの時の興奮がなければ今の自分はなかったと断言できる。

     

     そして、『週刊宝石』のあの記事に出会っていなければ、ハネモノの衰退とともにパチンコをやめていたに違いない。 

     たった900円儲けただけの興奮と『週刊宝石』の記事。この二つの出来事が一人のパチプロを生み出した。人生は不思議な形で転機が訪れる。


    ネバーギブアップ


     将棋の故・米長邦雄永世棋聖は幼い頃、まぐれで大人を将棋で負かし、「坊や、君は天才だ。きっと名人になる」と言われたという。

     

     当時の米長氏は将棋のルールを覚えたばかりの超初心者にすぎなかった。その米長氏に負かされた大人はどうしようもないほど弱かった。

     

     超初心者に負けてしまう人物に他人の才能を論じる力などあるはずもない。しかし、子供は純情である。米長氏は大人の戯言を真に受けて、「プロになれば名人になれる」と本気で信じたという。

     

     その後、めきめきと頭角を現した米長氏は本当にプロになってしまった。これだけでも十分に面白い逸話であるが、事実は小説よりも奇なり。

     

     米長氏は棋士としてのピークをとうに過ぎた49歳の時、7度目の挑戦でついに悲願であった名人の座を射止める。史上最高齢での名人奪取はマスコミの大絶賛を浴びた。何事も決して最後まで諦めてはならない。 

     もしあの時、大人の戯言がなければ・・・運命とは数奇なものである。

     

    リヴィエラ倶楽部 

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